これをも以ってよし了とすべし

慶長年間に、京の三大豪商の一人、嵯峨の角倉了以は、保津川の開削、高瀬川の舟運を開き、物資の大量輸送を川の道に視点を置いて、流通革命を行なったことで有名な人物、その了以翁の名前の由来を探ることができました。そこには角倉一族の家訓とも言えるべき商道徳の精神が伺い知れるところであります。

平成22年6月27日(土)に、三条木屋町下るにある慈舟院瑞泉寺において、了以翁の遺徳を偲び、角倉同族会主宰の了以翁の397年遠忌法要と、引き続きホテルフジタで総会、懇親会が行なわれました。保津川開削400年記念の年から縁あって、17代宗家、角倉吾郎氏から毎年ご案内をいただき参加をさせていただいています。

亀岡、いや丹波地域の発展に大きく貢献された角倉了以翁の功績は測り知れないものがあります。亀岡の発展にとって了以翁の保津川お開削は舟による物資の大量輸送ができるようになって大きく経済の活性化が図られました。今日の亀岡があるのは了以翁による川の道を利用した流通革命のお蔭と言っても過言ではありません。感謝の気持ちを忘れてはならないとの思いで亀岡を代表して参加をしています。懇親会の前に行なわれる総会で全国各地から集まってくる同族会の皆さんが情報なり功績を顕彰する勉強会をする中で、常に新しい情報が報告されています。今回の同族会のでは、了以翁の名前の由来を知る情報が得られました。

昨年12月に出版された中田有紀子氏の「この者只者にあらず」の著書の中で、了以の名前の由来の部分が記されています。了以、これを以って了とすべし。これとは何か、了以翁の精神そのものであります。「他を損じて己の益に非ず」豪商と言われた了以にとって一番大切なことは、商いは自分だけが儲かればよいというものではない。みんなが潤ってこそ成り立つものである。ましてや、他人を犠牲にして利益を得るということはあってはならない。この精神こそ了以の心であり角倉家の精神である。これは豊臣秀吉、徳川家康から認可され、ベトナム(安南)との交易の中で、往時、長旅の朱印船の中での「舟中規約(しゅうちゅうきやく)」とともに、了以翁の精神を記されたものであります。その証拠にベトナムホイアンに日本橋という橋が世界遺産に登録されています。現地の人びとは400年前に遠く日本から来た商人が造ってくれた橋として、別名、遠来橋とも呼ばれ当地の人々から親しまれ慶ばれているという。了以は地域の人が望むことを適えてあげることによって地域との信頼が生まれる。心通じ合うことによっていい仕事(貿易)ができる。これが了以の本質であると強く感じられる事象です。

近江商人発祥の地、近江国愛知郡(えちぐん)吉田の出身から吉田性を名乗り、出自は佐々木氏の流れをくむとところから了以にとって、経営者としての商道徳ほど大事なことはないと考えていたことが伺えます。これを以って了とする。角倉了以の名前の由来については、政治の世界でもあい通じるものがあります。亀岡市政は何を以って了とするのか。夢ビジョンと銘打っての第4次総合計画、果たしてこれを以って了とすべし、といえる内容であるのかどうか。検証していく必要があります。

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